完璧な立方体を夢見た職人の話

──スティーブ・ジョブズ──をご存じだろうか?
50歳代で知らないビジネスパーソンはいないだろうと思えるくらい有名な方だ。
そのジョブスがアップルを追い出された後に
「ネクスト-キューブ」というパソコンを作ったことまで知っている人は結構少ない。
理想の形状とデザインへの執念ともいえるキューブ型と聞いている。
私とキューブパンとジョブスの共通点が見つかった
立方体という形には、どうも人を惹きつける何かがある。
無駄がなく、強く、安定している。
完璧な形をしているはずなのに、どこか人間らしい不器用さが漂う。
私も、エンジニアも、そしてスティーブ・ジョブズも、
結局は同じものを追いかけていたのかもしれない。
立方体は、人間の夢の縮図
キューブパンを焼いていると、たまに思う。
これは“形”への挑戦だと。
丸く膨らみたがる生地を押さえつけ、
四角く整えようとする。
自然に逆らい、偶然を排除しようとする行為。
でも、完璧な立方体は存在しない。
気温が1℃違えば膨らみが変わり、
水分量が1グラムずれれば角が沈む。
理論的には単純なのに、現実はいつも曖昧だ。
それでも、人はその“完璧の幻”を焼き続ける。
ジョブズもまた、キューブを焼いていた
1988年、スティーブ・ジョブズは「NeXT Cube」というコンピューターを作った。
黒いマグネシウム製の立方体。
当時としては異常なまでに美しかった。
角度も、素材も、ネジの位置すら完璧。
ジョブズは「これは未来を閉じ込めた箱だ」と言った。
だが、現実は皮肉だった。
高価で重く、熱がこもりやすく、売れなかった。
それでもこの“立方体”の中で育ったOSが、後にMac OS X──
つまり現在のmacOSの原型になった。
完璧を追い求めて失敗した人間が、
その失敗から次の美しさを生み出した。
それは、少し焦げたパンが一番香ばしいのと似ている。
立方体がもつ、冷たい優しさ
立方体には「冷たさ」と「安心」が同居している。
触れると硬いのに、眺めていると落ち着く。
幾何学的な秩序の中に、奇妙なぬくもりがある。
キューブパンを焼くたびに、
自分は“ジョブズ的な無駄のなさ”に惹かれている気がする。
完璧を目指すのではなく、完璧を諦めるまでの過程に意味がある。
焼き色が均一ではなくても、
角が少し丸くなってもいい。
それが、パンという「立方体の中の人間味」だ。
完璧を夢見た人たちへ
ジョブズのキューブも、パン屋のキューブも、
結局は“手の跡”が残る。
精密に設計しても、最後の1%は人間の癖で決まる。
もしかしたら、完璧というのは存在するものではなく、
人間が繰り返し失敗できる余白のことなのかもしれない。
今日もオーブンの前で、パンが膨らむのを見ている。
角が立っていくのを見るたび、思う。
あのジョブズも、たぶん同じ顔をしていた。
「もう少しで完璧だ」と言いながら、
ほんの少しずつ焦がしていったんだろう。

