キューブは神話を裏切った形──パン屋が焼く「知恵の立方体」

パンを焼く人間が“立方体”にこだわるのは、少し不思議だ。
自然界にキューブという形は存在しない。
岩は削れて丸くなり、氷も角を失う。
つまり、キューブとは人間が自然から奪い取った秩序の象徴だ。
語源を辿ると、“cube”はギリシャ語の「kybos(κύβος)」に行き着く。
意味は「サイコロ」。
神々が運命を決めるときに投げたとされる、あの立方体だ。
運命と知恵。
偶然と計算。
キューブはそのあいだを漂っている。
一方で、メソポタミアの女神「クババ(Khubaba)」という存在もいる。
豊穣と知恵を司り、都市の秩序を守る神。
“キューブ”の語源が彼女に由来するという説がある。
確証はないけれど、
知恵を与え、形を整える存在としての響きは妙に合っている。
パン職人が立方体を焼くという行為は、
もしかしたら古代の“知恵の儀式”の名残かもしれない。
膨らむものを制御し、角をつけ、秩序を与える。
それはまさに、混沌の中に人間の意志を押し込める行為だ。
サイコロは、神と人間のあいだで転がる
立方体というのは、計算できる形だ。
でも、サイコロを投げると結果は読めない。
数学的には完璧なのに、結果は不確定。
ここに、キューブの二重性がある。
受験も少し似ている。
勉強という“知恵”の積み重ねをしても、
試験当日はサイコロのような一瞬の運によって左右される。
人間は未だにkybosのゲームから逃れられていない。
パン屋のオーブンも、ある意味でサイコロだ。
温度・湿度・発酵・タイミング。
全てを計算しても、結果は毎回少しずつ違う。
焼き色、香り、膨らみ──
それらの微妙な差異は、“知恵と偶然の境界線”を教えてくれる。
神話の時代、クババは王たちに知恵を授けたという。
現代では、その知恵はオーブンや受験勉強に姿を変えている。
人は形を整えようとし、
神はそれを笑って見ている。
完璧を求めるほどに、世界はサイコロのように転がっていく。
だから私は、今日もキューブパンを焼く。
自然界には存在しない形を、
人間の手で繰り返し作り出す。
完璧にはならない。
角が少し丸い。
でも、それでいい。
知恵とは、偶然を受け入れるための形のことなのかもしれない。

