キューブパンの形 必然と偶然の運試し

キューブパンを焼くたびに思う。
この角の中には、少しだけ空気が入っている。
完璧に詰めようとしても、どうしても残る“何か”。
それは失敗ではなく、たぶん余白だ。
パンを焼く人間にとって、角というのは「終点」だ。
膨らみが止まり、形が決まる場所。
だけど、生地にしてみればそこは“壁”だ。
ぶつかって、押し返されて、それでも中に空気をためる。
立方体という形は、パンの意思を少しだけ閉じ込めている気がする。
世の中には「四角い」というだけで整って見えるものが多い。
カットされたチーズも、スマートフォンも、
みんな角を持って、きちんと積み重なる。
でも、パンは違う。
どんなに四角くしても、角の内側には柔らかさが残る。
完璧な形に見えても、実際は呼吸している。
型に生地を詰めすぎると、角が割れる。
少なすぎると、角が立たない。
ちょうどいいところを狙うのは、数学ではなく勘だ。
そしてその“勘”は、だいたい外れる。
人間が立方体を作ろうとするたびに、
パンはやんわりとその完璧を拒否する。
それでも焼き上がったキューブパンを並べると、
やっぱりきれいだと思う。
均等な形が、まるで整理された思考みたいに見える。
でも触ると柔らかくて、
押せばすぐに形が変わる。
つまりキューブパンは、きちんとして見えるやわらかいものだ。
人間もたぶん、それくらいでいい。
角を保ちながら、空気を含んでいる感じ。
壊れないように焼けた朝は、ちょっといい日だと思う。

