パンは丸く焼けるのに、私はキューブを作りたがるのか?

パンというのは、放っておくと丸くなる。
膨らみたい方向に膨らみ、
やわらかい場所を選んで空気をためる。
それが自然な姿だ。
なのに私は、その自由を型に押し込めて“角”を作ろうとする。
形を与えるというのは、いつも少し暴力的な行為だ。
パン屋として生地を型に入れるとき、
いつも小さなためらいがある。
「この子は、ほんとはもっと丸くなりたいんじゃないか」と。
でもそれを押さえつける。
角を出すために、均等に詰め、均等に焼く。
自然に逆らいながら、
人間だけが理解できる“秩序”という名の幻想を作っていく。
四角という形は、効率の象徴だ。
積み重ねやすく、並べやすく、
きれいに切り分けられる。
都市の建物も、机も、スマートフォンも、
人間の世界は四角でできている。
四角は、自然界にはほとんど存在しない。
だからこそ、私たちは四角を作る。
それはつまり、「自然を支配したい」という人間の無意識なのかもしれない。
ただ、パンは生きている。
型で焼き上げても、角が少しだけ丸くなる。
それはまるで、自然が「はいはい、わかった わかった」と
私の努力に軽くツッコミを入れてくるようだ。
その丸みを見ると、少し安心する。
四角の中にも余韻があるということだろう。
型を使う理由を問われたら、
「形を揃えるため」と答える。
けれど本音を言えば、
人間はきっと“形にすることで安心したい”だけなのだと思う。
丸いままでは不安になる。
見えないものに名前をつけて、
流れるものを固めて、
パンのように日々を焼き固めている。
だから私は、今日も角を作る。
自然に逆らって、秩序を焼く。
でもオーブンを開けるたび、
角が少し丸くなっているのを見る。
それを見ると、
「まあ、これでいいか」と思える。
パンは今日も、人間の完璧主義をゆるしてくれる。

