パン屋という仕事の“時間感覚”のズレについて考える|朝が来る前に始まる1日の話 | まつやまパン

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パン屋という仕事の“時間感覚”のズレについて考える|朝が来る前に始まる1日の話

時を刻む時計とパンを追いかける女の子を「アリスと不思議な国」のような物語性を持たせ、想像力あふれるリアルな画像

パン屋という仕事を続けていると、
だんだん「時間」に対して自分だけ別の国籍を持っているような気分になる。


日本で生きているのに、体内時計だけは別の文化圏で生活しているという感覚。
これを説明するのは少し厄介で、たぶん普通の職業の方には伝わりにくいかもしれないが、
パン屋は時間を前倒しにして生きている職業”と言えば、少しは伝わるだろうか。

たとえば、世間が「午前2時は深夜」と呼ぶとき、パン屋にとってはほぼ「朝」である
電気もつけずに工房の扉を開けると、外は当然真っ暗だ。
街が寝ていても、生地だけは起きている。
まるで酵母だけがこっそり早起きして、パン屋を出迎えてくれているような気がする。


早朝ではなく、深夜でもなく、“発酵時間”で生きている

パン屋には「早朝」「深夜」という概念が薄い。
代わりにあるのは 「発酵のタイミング」 だ。

一般社会の時間割は、

  • 朝:起きる
  • 昼:働く
  • 夜:帰る

という明快なリズムで進む。
しかしパン屋の時間割は、もっと物理的で、もっと有機的だ

  • 酵母が動き出す
  • 生地がふくらむ
  • ガスが抜ける
  • 温度が上がる
  • 焼成の順番が来る

こうした“生き物の都合”で1日が展開していく。
つまりパン屋とは、人間の社会的時間と、生地の生物学的時間のあいだで生きる職業なのだ。


時計よりも「生地の表情」のほうが正確

経験を積むほど、パン屋にとっての時計は“参考情報”になっていく。
本当に頼りになるのは、時間ではなく 生地の表情 だ。

生地は天気や湿度や室温に敏感で、人間よりもずっと正直だ。
前の日と同じ時間で発酵させても、同じ状態にはならない。
酵母が調子いい日、ちょっと眠そうな日、やる気を出しすぎて暴走する日。
まるで小さな動物のように気まぐれだ。

だからパン屋は、
「時間を守る」より
「状態を読む」ことを優先する

これに慣れてしまうと、一般社会の“時間厳守”という文化が、なんだか別世界のルールに思えてくる。


おもしろいズレ:夜に寝ると、寝坊した気がする

パン屋あるあるだが、
普通の時間に寝ると逆に落ち着かない。

たとえば夜10時に布団に入ると、
「いま寝るってどういうこと?」
「このまま朝8時まで寝たら、何かを失ってしまうのでは?」
と、脳がざわつき始める。

パン屋にとって“夜”は一日の終盤ではなく、“翌日に向けての準備期間”だ。
次の生地の仕込み、明日の気温チェック、粉の状態確認。
どれも終わらないうちに寝るのは、宿題を机に広げたまま眠るような落ち着かなさがある。

つまりパン屋にとっての夜は、「締め」ではなく「始まりの前の静寂」なのだ。


休日も“朝”がやってくる

さらに厄介なのが休日である。
休日にも、身体だけ勝手にパン屋を続ける。
午前2〜3時に目が覚め、
「あ、生地…いや今日は休みだ」
と気づく。

しかしこの“空振り”の感覚が妙におもしろい
まるで体内に住んでいる執念深い職人が、
休日の存在をまだ理解できていないような感覚だ。

普通の職業は「時間を管理して働く」が、
パン屋は「時間と一緒に生きる」ため、
休日だけ時間だけが先に休んでしまい、身体だけが置いていかれる。


時間のズレは、パン屋の特権

一般の生活とズレてしまうからこそ、パン屋は独特の視点を持てる。
誰も歩いていない道を歩き、
誰も起きていない時間に働き、
誰も知らない温度帯で悩む。

この“世界の裏側の時間”を経験しているからこそ、
パン屋はパン屋としての哲学やユーモアを育てられる。

社会とズレることは、劣っているのではない。
むしろ、そのズレこそがパンという文化を支えるための余白なのだ。


まとめ:パン屋は「時間の国の住人」

パン屋という仕事の時間感覚は独特だ。
だがそのズレは、生地の声を聞き、旬を見極め、
毎朝人々に焼きたてを届けるために必要なズレである。

パン屋が生きているのは
日本でもなく、現代でもなく、
“発酵と焼成が支配する小さな時間圏”。
この世界の住人であるからこそ、
私たちは日々、パンの香りを社会に届けることができている。

この記事の著者

原 新

和食料理人としてオランダをはじめヨーロッパ各地で料理修行。帰国後は様々な修業を重ねたのち、地元・福岡で郷土料理や大麦料理、スープ専門店など、幅広い食文化に携わってきました。
その後、「料理の延長としてのパンづくり」をテーマに独学でパンの世界へ。ベーカリー経験ゼロからYouTubeで1800時間以上学び、一辺6cmの四角い“キューブパン”という形にたどり着きました。
雑穀マイスターとして穀物や発酵の個性を生かしつつ、最近はAIも活用して新しいフレーバーや商品アイデアを探るなど、職人の感覚とデジタルの知恵を掛け合わせた開発にも取り組んでいます。
「まつやまパン」では、“会話のきっかけになるパン”をテーマに、ちょっと楽しく、ちょっと深いパンづくりを続けています。

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