世界にこんなにある「変なパン」──パンの形は、人類の必死さの痕跡である
キューブパン屋をやっていると、ときどき「なんでしかくなの?」と聞かれることは多い。
「かわいいですよね」と言ってくれるお客様の横で
「へんなの!」と直球で攻めてくるお子様もいらっしゃる・・・
そのたび
「世界のパン、だいたい変じゃないか」と一人思ったりして
心の平穏を保とうとしているのが現実にあったりする。
細長すぎたり、黒すぎたり、酸っぱすぎたり、
どう見ても“初見殺し”のパンが世界中に存在する。
でもそれは、奇をてらった結果ではない。
むしろその逆で、人間が必死に生き延びた結果なのだ。
ローマ帝国と一緒に、パンはヨーロッパを旅した
パンと小麦粉がヨーロッパ中に広まったきっかけは、
ローマ帝国の領土拡大だったと言われている。
征服と同時に、人も文化も移動する。
当然、パンの作り方も、小麦の種も一緒に運ばれた。
現地の人たちは、
「え、穀物を粉にして焼くの?」
「これ、主食になるの?」
と驚いたかもしれない。
こうしてパンは、少しずつ土地ごとに“変形”しながら、
ヨーロッパ中に根付いていった。
世界のパンは約5000種類。でも定義はたった3つ
世界には約5000種類のパンがあると言われる。
正直、本当かどうかは誰にも分からない。
たぶん数えきれない。
ただし、どんなパンでも共通する定義は驚くほどシンプルだ。
- 穀物(主に小麦)
- 発酵
- 焼く
たったこれだけ。
なのに、どうしてこんなに違いが生まれたのか。
答えは簡単で、
土地が違えば、すべてが違うからだ。
気候・土・燃料が変われば、パンは変わる
土地が変わると、
- 育つ穀物が変わる
- 燃やせる木が変わる
- 気温と湿度が変わる
すると、
「同じパンを作ろうとしても、作れない」
という事態が起こる。
結果、人は考える。
「じゃあ、ここで作れる形にしよう」
「これなら楽だ」
「これならおいしい」
そうやって生まれたのが、
世界中の“変なパン”たちだ。

暑い地域では、ふくらませないのが正解だった
中東やインドなど、暑い地域では
ピタパンやナンのようなフラットブレッドが主流だ。
理由は単純で、
暑いと発酵管理が難しい。
ふくらませると失敗しやすい。
だから、
「ふくらませない」
「薄く焼く」
という方向に進化した。
結果として、
タンドール窯の内側に貼り付けて焼くナンのようなパンが生まれる。
合理の塊だ。
ヨーロッパでは「窯」が進化し、パンが重くなった
一方、フランスやドイツなどヨーロッパ。
森林が豊かで、薪に困らなかった。
だから高温の窯が発達し、
じっくり焼くパンが可能になった。
中世では、
村に1つのパン焼き小屋があり、
各家庭が週に1度カンパーニュ(田舎パン)を焼いていた。
この頃からほとんど変わっていないのが、
今も残るカンパーニュだ。
- 自家培養の発酵種
- 精白していない全粒粉
- 重くて噛みしめるパン
“変わらない”のは、完成形だったからだ。

エチオピアのインジェラは、雑巾ではない
エジプトから南へ行くと、エチオピアがある。
そこで食べられているのがインジェラ。
テフという穀物を使い、
強烈な酸味と香りを持つ。
見た目がクレープ状で、
気泡だらけなことから、
旅行者に「雑巾」とあだ名をつけられることもある。
でもこれは、
熱帯で生きるための最適解だ。
小麦が育たない土地で、
保存性と栄養を確保するためのパン。
失礼なあだ名の裏に、必死さがある。

メキシコでは、小麦よりトウモロコシが主役
メキシコのトルティーヤは、小麦ではなくトウモロコシ。
理由は明確で、
アメリカ大陸はトウモロコシの原産地だから。
トウモロコシにはグルテンがない。
だから、ふくらまない。
だから、平たく焼く。
「ふくらまないからダメ」ではなく、
「ふくらまないなら、そう作る」。
これが人類の柔軟さだ。
北へ行くほど、パンは黒くなる
ユーラシア大陸を北へ進むと、
小麦よりライ麦が使われるようになる。
ライ麦は、
- 寒さに強い
- 痩せた土地でも育つ
ドイツ、北欧、東欧では理想的な穀物だった。
結果、
ドイツではライ麦比率の違うパンが無数に生まれる。
- ベルリン:ライ麦70〜80%
- ハンブルク:90%
- デンマーク:100%(ロブロ)
北へ行くほどパンが黒くなるのは、
人間の好みではなく、気候の都合だった。

小麦と一緒に、ライ麦も旅をしていた
小麦の種は、きれいに選別されて運ばれたわけではない。
雑草や他の麦も混じっていた。
その中にライ麦がいた。
南では目立たなかったが、
北へ行くほどライ麦が元気になり、
小麦は負けていった。
結果、
「気づいたらライ麦パン文化」
が成立した。
人間が選んだというより、
植物が選ばせた歴史だ。
酵母まで、その土地仕様になる
フランスでは小麦から起こすルヴァン種。
ドイツではライ麦から起こすライサワー種。
穀物が違えば、
発酵種も変わる。
自然に合った方法だけが生き残る。
パンは、自然選択の産物でもある。

奇妙な形のパンほど、理由がある
たとえばバゲット。
細長すぎて不思議な形。
でも、
- 窯に並べると無駄が少ない
- 表面積が増えて、皮がおいしい
- パリ周辺の小麦の個性を最大化できる
すべて合理的だ。
パリのフランスパンの形を決定づけたのは
パリ国王だともいわれている。
奇妙なのは形ではなく、
そこまで真剣に考えた人間の執念かもしれない。

パンは、人類の「超・現実的な知恵」
世界の変なパンは、
デザインでも、流行でもない。
- どうやったら生き延びられるか
- どうやったら楽か
- どうやったらおいしいか
この問いに、
何百年も本気で向き合った結果だ。
だからパンは面白い。
そして、どの土地のパンも、ちゃんと意味がある。
パン屋として、
その“必死さの結晶”を今日も焼いていると思うと、
少し背筋が伸びる。
変なパンほど、
人類は真剣だったのだ。
