冷凍パンは“時間旅行”をしている

凍庫を開けるたび、少しだけタイムマシンの扉を開けている気がする。
数日前に焼いたパンが、あの時のまま眠っている。
時が止まっているように見えるけれど、
実際には「時を引き伸ばしている」と言う方が正しい。
冷凍とはつまり、時間をいったん折りたたむ技術だ。
パンというのは生きている。
焼いたあとも、香りが抜け、水分が逃げ、少しずつ老いていく。
だからこそ、冷凍はちょっとした反則技だ。
焼きたての瞬間を保存する行為は、
人間で言えば「若いままの写真で居続けること」に近い。
けれど、時間を止めるには代償がある。
冷凍したパンは、未来に行く代わりに“湿度”を失う。
つまり、代わりに少しだけ記憶を手放す。
解凍の瞬間というのは、パンにとっての再会だ。
忘れていた呼吸を取り戻すように、水分を吸い戻す。
「おかえり」と声をかけたくなる。
ただ、完全に元通りにはならない。
少しの空気の隙間、少しの香りの抜け──
その微妙な違いが、時間の経過を教えてくれる。
人間にとっての“懐かしさ”も、たぶん同じ構造をしている。
思い出を完全に保存することはできない。
どこか少し抜け落ちたところがあるから、
そこに感情が入り込む余地がある。
完璧な保存は、感動を殺す。
だから冷凍パンも、少し劣化しているくらいがいい。
もし時間旅行というものが実現したら、
人間も冷凍パンのようになるのかもしれない。
肉体は保存できても、心の湿度までは持っていけない。
未来に行った自分はきっと、
少しだけ乾いて、でも不思議とおいしそうに見える。
冷凍パンを焼き戻すときのあの香り。
それはたぶん、「時間がもう一度動き出した匂い」だ。
オーブンの中で、過去が少しずつ現在に戻っていく。
この感覚を味わうたびに思う。
パンは、今日を焼いて、明日に運ぶ。
人間は、昨日を冷凍して、今日に解凍する。
どちらも、時間の中で生き延びるための技術だ。

