年末の年越しそばとパンと

年越しそばを食べそこねた話
年末というのは、不思議な時期だ。
一年を振り返る余裕があるようで、実際には一番せわしない。
今年も例に漏れず、年末まで仕事に追われていた。
気づけば大晦日。
時計を見ると、もうそば屋が閉まる時間を過ぎている。
「あ、年越しそば…」
その瞬間、頭に浮かんだのは、
そばの味ではなく、
「食べそこねた」という事実だった。
そばを食べる理由を思い出す
年越しそばは、細く長く生きるためだとか、
一年の厄を切るためだとか、
いろいろな意味がある。
でも正直なところ、
年に一度だから食べている、
という側面も大きい。
そう考えたとき、
「そばじゃないといけない理由」は、
案外ふわっとしていることに気づく。
冷凍庫に、パンはあった
ふと冷凍庫を開けると、
パンがあった。
忙しい日のために取っておいたものだ。
パン屋をやっていると、
こういう非常用のパンが、
なぜか常に家にある。

トースターを温めながら、
「これは年越しパンだな」と思った。
誰に許可を取るわけでもない。
ただ、自分の中でそう決めただけだ。
年越しパンは、意外と悪くない
焼き上がったパンをかじる。
ぱりっとして、
中はやわらかい。
一年間、
何度も食べてきた味なのに、
この日は少し違って感じた。
そばのように、
「年越し専用の意味」はない。
でも、その分、
構えずに食べられる。
「今年もよく働いたな」
そんなことを考えながら、
黙々とパンを食べた。
文化は、守るものでも破るものでもない
年越しそばを食べなかったからといって、
何かが起きるわけではない。
文化は、
守らなければならないものではなく、
必要なときに立ち戻る場所のようなものだと思う。
今年はパンだった。
来年は、そばかもしれない。
それでいい。
仕事で忙しい年末も、悪くない
年末まで忙しかったということは、
それだけやることがあったということだ。
ありがたい話でもある。
年越しそばを食べる暇もなかったが、
その代わりに、
パンを食べながら一息つけた。
それだけで、
十分に年を越した気がした。

年が変わる瞬間に、大事なこと
年が変わる瞬間に、
何を食べるかより、
どういう気持ちでいるかのほうが大事だ。
慌ただしい一年だった。
でも、ちゃんと終わらせた。
パンを食べ終えたあと、
静かな部屋で時計の針が進むのを見て、
「あ、年が変わったな」と思った。
今年の年越しは、
そばではなく、パンだった。
それだけの話なのに、
独りで笑ってしまった。
