日本はパンのガラパゴス──それでも私は日本のパンが好きだ
日本で最初に食べられたパンは、非常食だった
日本にパンが初めて伝わったのは16世紀。
種子島に漂着したポルトガル船が、鉄砲と一緒にパンを積んでいた、という話は有名だ。
ただし、この時点でパンは
「おいしい食べ物」ではなく
「長期保存できる携行食」
だった。
江戸時代にも、長崎・出島ではパンが焼かれていたが、
それは外国人のための食べ物で、日本人の日常には入り込まなかった。
パンが日本に根づいたのは、文明開化から
パンが本格的に日本で焼かれるようになったのは、幕末から明治維新。
横浜にやってきた外国人の主食として、パンが必要になった。
1862年、横浜でイギリス人のために焼かれた食パン。
その流れを今も汲んでいるのが、横浜元町の「ウチキパン」だ。
ここで重要なのは、
パンは日本人のためではなく、外国人のために始まった
という点だ。

日本のパン史を変えたのは、あんぱんだった
日本のパン文化の転換点は、1874年。
木村家が「酒種あんぱん」を発売した年だ。
パンの中に、あんこを入れる。
ヨーロッパ人から見れば「なぜ?」という発想。
だが日本人には、
まんじゅうという下地があった。
この瞬間から、日本のパンは
食事ではなく、おやつ
として独自進化を始める。
日本では「パン=おやつ」になった理由
フランスでパンといえば、小麦・水・塩・酵母だけの食事用パン。
クロワッサンやブリオッシュは「おやつ」扱いだ。
日本は違う。
ごはん文化があるため、夕食にパンを食べない。
パンは『おやつ』だという人もいる。
結果、日本で発展したのは
- あんぱん
- クリームパン
- カレーパン
すべて中に具を詰めた「包あんパン」。
これは細かい手仕事が得意な日本人の職人性と、驚くほど相性が良かった。

食パンだけが、日本で“食事”になれた
日本で唯一、食事パンとして定着したのが食パンだ。
起源はイギリスの「ティンブレッド」。
産業革命期、労働者のために大量生産されたパンだった。
それがアメリカを経由し、日本へ。
戦後、アメリカの占領政策による小麦粉援助と学校給食によって、
日本人は「毎日パンを食べる」訓練を受けることになる。
日本の食パンは、輸入ありきで生まれた
問題はここからだ。
日本で古来育つ小麦は、うどん向きの中力粉。
ふわふわの食パンには、北米産の強力小麦が必要だった。
つまり日本の食パン文化は、
最初から輸入前提だった。
小麦自給率は約15%。
強力小麦に限れば約5%。
もし輸入が止まれば、日本はパン以前に食べ物がなくなる。
それでも、日本人はパンをあきらめなかった
かつては「国産小麦でパンは作れない」が業界の常識だった。
しかし品種改良により、北海道を中心に
「ゆめちから」「春よ恋」が誕生する。
もちもち食感の国産小麦。
それは、日本人の好みに驚くほど合っていた。
食パンブームの火付け役「Centre the BAKERY」は、
この国産小麦で作った食パンを、今やパリで売っている。
日本人は、パンを奪い返しはじめている
アメリカの占領政策で植えつけられたパン文化。
それを、国産小麦で再構築し始めた日本。
歴史家スティーブン・カプラン教授は、こう言った。
「日本人はパンを奪い返した」。
パンは本来、その土地の小麦から生まれるもの。
日本は今、ようやく人類1万年の“普通”に戻りつつある。
ガラパゴス的な物は特殊である
でもガラパゴスが良い。
そしてガラパゴスには意味がある。
