エジプト人が“パンを食べる人”と呼ばれた理由──5000年前のふくらみと現代キューブパン
5000年前、パンを愛しすぎた人々がいた
古代エジプト人は周辺民族から「パンを食べる人」と呼ばれていたらしい。
なんとも直球のキャッチコピーだが、歴史的には正確だ。
エジプトはナイル川の肥沃な土壌で小麦を大量に作り、
その小麦をさらにパンへ変換することに情熱を燃やした。
王の墓の壁画には、パン生地をこねる人、型に詰める人、
焼き具合を確認する人が描かれ、職場風景が5000年の時差を超えて伝わってくる
。
もし壁画に「キューブパン部門」があれば、もっと親近感が湧いたのだが、
さすがに当時のパンは立方体ではなかった。

発酵パンの起源は“偶然の膨らみ”だった
発酵したパンを最初に焼いたのはエジプトだと言われている。
その起源は、技術革新というより、パン屋にありがちな“ミス”に近い。
パン生地を置いていたら、知らぬ間に野生酵母が入り込み、生地が勝手に膨らんでいた。
本来なら
「誰だよ空気中の菌を入れたの!」
と怒る場面かもしれないが、エジプト人は焼いてみることにした。
すると意外にもふっくらしておいしかった。
この「たまたま発酵していた」という偶然が、文明のパンを大きく変えた。
パン屋をやっているとわかるのだが、こういう“偶然の成功”はたしかにある。
たとえば、キューブパンの生地を発酵させすぎて、
いつもより気泡が細かくなったのに、
なぜか評判が良かった──そんなことが起こる。
人類史に残る発明のいくつかは、案外こうした“放置プレイ”から生まれている。
酵母は自由奔放で、こちらの都合をいちいち聞かずに仕事を進める。
それが文明を変えてしまうのだから面白い。
タンドール窯の原型で焼かれていたパン
古代エジプトのパンは、
インドのナンを焼く時に使うタンドール窯のような“熱した壺”の
内側に貼り付けて焼かれていたと言われている。
パンを壺に貼り付けて焼くという発想は、
今でも見ても驚く。
重力に逆らいながら、壺の内側に張り付いた生地が数秒で焼けていく。
5000年前の技術にしては驚異的で、
しかもこのスタイルは今なお世界各地で生き残っている。
もし当時キューブパンを焼こうとしたら、
壺に立方体の型を固定する必要がある。
そこまでして四角にこだわる文明は、
どう考えても未来側に存在している。
しかし、根本の“熱と小麦と水の反応”は同じだ。
タンドールの熱も、現代のコンベクションオーブンの熱も、
結局はデンプンとタンパク質に同じ力を加えているだけ。
5000年分の機材の差はあるが、パンがふくらむ原理は一切変わっていない。

発酵という奇跡に、古代人も現代人も取り憑かれる
エジプト人が偶然見つけた“発酵のふくらみ”は、
その後のパン文化を完全に変えた。
人類は平べったいフラットブレッドだけでは満足せず、
膨らませて、軽くして、香り豊かにした。
そして現代。
私たちはその延長線上でキューブパンを焼いている。
形は違えど、
「どう膨らませるか」
「どんな香りにするか」
「内部の気泡をどう整えるか」
という問いに向き合い続けているのは、
5000年前のパン職人とほとんど同じだ。
違うのは、私たちが温度計やタイマーを持っていることぐらいだ。
発酵の気まぐれに振り回される感じは、
一切変わっていない。
文明がこれだけ発展しても、
小麦と酵母はまったくこちらに合わせてくれない。
5000年後も、人類はきっとパンを焼いている
エジプト人は「パンを食べる人」と呼ばれた。
では現代の私たちはどうだろう。
「パンを焼く人」
「パンに人生を左右される人」
「パンの香りに抗えない人」
どれも間違ってはいない。
結局、人類はパンとともに文明を歩んできた。
小麦が形を変え、発酵が進化し、窯が壺からオーブンへ変わり、
そしてついにはキューブパンのような“建築的パン”まで登場した。
でも、5000年前にふくらんだ生地を見て驚いたエジプト人も、
焼き上がったキューブパンの断面を見て嬉しくなる現代人も、同じ感情を抱いているのだろう。
この“ふくらみに対する喜び”こそ、文明の隠れた推進力なのかもしれない。
