日本人は本当に「柔らかいパン」が好きなのか
日本人は本当に「柔らかいパン」が好きなのか
「日本人は柔らかいパンが好きだよね」と言われることがある。
パン屋をやっていると、よく耳にする言葉だ。
たしかに、そう言われると納得してしまう場面も多い。
ただ、この言葉は少し便利すぎるとも感じている。
便利というのは、深く考えなくても話が終わってしまう、という意味だ。
せっかくなので、この通説を一度立ち止まって見てみたい。
日本人は本当に「柔らかさ」そのものが好きなのだろうか。

「柔らかい」という言葉は、何を指しているのか
まず整理したいのは、「柔らかい」という言葉の中身だ。
水分量が多い、歯切れがいい。
こうした、数値で説明できる柔らかさがある。
やわらかいが「もっちりしている」という表現もあるのだから面倒だ。
一方で、
口に入れた瞬間の安心感
噛み切りやすさ
どこか懐かしい感じ
こうした感覚も、まとめて「柔らかい」と呼ばれている。
この二つは似ているようで、実は別物だ。
ただ、普段の会話ではほとんど区別されていない。
だから「柔らかいパンが好き」と言うとき、
食感の話をしているのか、気持ちの話をしているのか。
本人もはっきりしていないことが多い。
日本のパンが選んできた「失敗しない食感」
日本のパンを考えるとき、学校給食の影響は大きい。
冷めても食べやすい。
誰が食べても大きく外さない。
噛むたびに、食感が極端に変わらない。
あのパンが教えてくれたのは、
「安心して食べられる」という感覚だったと思う。
やわらかいがゆえに、手のひらでつぶして食べていた男子は多かったと思う。

ここで好まれていたのは、
柔らかさそのものというより、裏切られなさだ。
硬すぎない。
噛みにくくない。
思っていた味と違わない。
日常的に食べるものとして、これはとても重要だった。
つまり、日本人は
「柔らかいパンが好き」というより、
安心して選べるパンを信頼してきた
と言ったほうが近い。
柔らかさは、入口として機能している
欧州のパンを思い浮かべると、印象は少し違う。
外側は硬く、
中は詰まっていて、
噛むほどに味が変わる。
噛み応えそのものを、情報として楽しんでいる。
そこに一つの正解はなく、体験としてのパンがある。
では、日本には体験がないのか。
そうではない。
日本のパンは、まず入口を柔らかくする。
そこで警戒心をほどいてから、
甘みや香り、余韻を少しずつ出してくる。
出汁の考え方に近い。
一口目は静かで、後から広がる。
だから「柔らかいパンが好き」という言葉は、半分だけ正しい。
正確には、
柔らかい入口を持つパンが好まれてきた
という話だ。

キューブパンが、ちょうどよくはまる理由
この視点で見ると、キューブパンは少し面白い存在だ。
見た目は四角くて、
どこか硬そうに見える。
けれど、食べると意外とやさしい。
構えさせてから、力を抜かせる。
この順番が、日本人の感覚とよく合っている。
柔らかすぎるパンは、実は記憶に残りにくい。
噛まずに食べられてしまうと、
「食べた」という事実だけが残り、体験が残らない。
だから多くのパン屋は、
ほんの少しだけ抵抗を残す。
気づくか気づかないか、その境目を狙う。
柔らかさは目的ではない。
会話を始めるときの声のトーンに近い。
大きすぎず、
小さすぎず、
「聞いてもらえる音量」に調整するためのものだ。
日本人は柔らかいパンが好きなのか。
たぶん、好きなのは柔らかさそのものではない。
安心して手渡せる食べ物であること。
その条件の一つとして、柔らかさが選ばれてきただけだ。
硬いか、柔らかいか。
そんな二択では、もう語れないところまで来ている。
でも、明日買うパンはやっぱり「ふわふわ」を選ぶでしょう。

