キューブパンという幾何学的な悩み 本当は面倒なキューブパン

パン屋をやっていると、よく言われる。
「キューブパンって、かわいいですよね」
たしかに見た目は整っている。
けれど、あの形はただの“かわいい”ではない。
数学的な執念の結果だ。
立方体という形は、シンプルに見えて実は残酷だ。
少しの歪みも、すぐにバレる。
角が丸くなれば「ふにゃ」として、
生地が足りなければ「しょぼん」と沈む。
ほんの数グラムの誤差が、すぐに形に出る。
まるで「完璧」という言葉を試してくるような生き物だ。
生地を詰めすぎてもいけない。
膨らみが上に逃げ、蓋を押し上げる。
少なすぎると、角が立たない。
ちょうど良い量はあるけれど、
それは天気、粉の吸水率、
そしてその日のパン職人の気分まで関係する。
つまり、キューブパンを焼くというのは、
「同じことをして、同じ結果を出す」という幻想に挑む作業だ。
そして毎回、少しだけ違う立方体ができる。
完璧なキューブというのは、理論上の存在だ。
現実には、どんなに丁寧に焼いても、
角はほんの少しだけ呼吸している。
人間の手で焼いたパンが「立方体でいよう」とする努力の跡が、
その呼吸の中に見える。
あの形は、かわいいというより、ちょっと切ない。
完璧を目指すのに、完璧にはなれない。
けれど、だからこそ美しい。
毎回オーブンを開けるたび、思う。
今日のキューブは少し丸い。
でも、それでいい。
たぶん、人間もそんなふうに焼けている。

